Modern Islamic Political Theory of BaiØa(1) 「現代イスラームのバイア論(1)」
Hasan Koh Nakata 中田考
Contemporary muslim scholors such as ØAbdullah ØUmar ad=Dumaijµ, and AÆmad ªiddµq ØAbd ar=Rahm±n analyze the process of the establishment of Ab¹ Bakr’s caliphate to find that the caliph making process is composed of two stages, i.e., “BaiØa of inauguration” and “BaiØa of obedience”.
“BaiÙa” of inauguration” makes a person the caliph conclusively and it is performed only by “leaders who unite and bind”, while people’s “BaiØa of obedience” is just the expression of their submission to the caliph and it is an obligation on them rather than their right.
Muslim scholars are now trying to definite the notion of “leaders who unite and bind” normatively in
order to organize them into the caliph electoral college. But it is more
fruitful to consider “leaders who unite and
bind” supporters of the temporal power, and study
the phenomena of the genesis of the power positively from this viewpoint.
1.
イスラームの政治論を理解するうえで、いくつかの重要な概念があるが、「バイア」もその一つである。本稿の目的は「バイア」をめぐる現代イスラーム政治学の議論の紹介にある。
「バイア(baiØa)」は通常「忠誠の誓い」と訳される。「バイア」は語源的には、動詞baØaの形で「売る」を意味する語根ByÙに由来するが、完了形b±yaØa未完了形yub±yiØu、の動名詞mub±yaÙaとほぼ互換的に用いられ、クルアーンでもyubayiØuの形で、以下のように用いられ
ている。
「汝にバイアする(yubayiعna)者たちは、まさにアッラーにバイアをするのである。アッラーの御手は彼等の上にある。」(48章10節)
「信仰者たちが木の下で汝にバイアをした(yub±yiØuna)とき、アッラーは彼等を嘉された」(48章18節)
「預言者よ、女信仰者たちが汝のもとにやって来て、アッラーになにものも配せず、盗み、姦通、子殺し、捏造した嘘の広言、良いことを命じられての反抗をしないことを、汝にバイアする(yub±yiØna)なら、彼女らにバイアし、彼女らの罪の赦しをアッラーに祈ってやれ。まことにアッラーはよく赦される慈悲深き御方。」(60章12節)
最初の2節は、フダイビヤの和議の交渉に臨み、預言者が信徒に、何ごとが起きようとも行動を共にすることを約させたものであり、三つめの節は、特定の禁止事項の遵守を誓うものであり、いずれもまだ、一定の行為のみに関する宣誓といって趣が強く、まだ後代の専門用語としての「忠誠の誓い」の意味を持っていない。
2.
スンナ派古典法学の用語では、「バイア」はカリフ位締結の様態の一つを指すことになる。例えばシャーフィー派の高名な法学者an=Nawawµ(d.1278)のMinh±j a»=»±libµnは次のように言う[1]。
カリフ位は、バイアによって締結される。より正確には集まることの容易なイスラーム学者、諸侯(ruÙas±Ù)、名士(wuj¹h an=n±s)など「解き結ぶ者(ah1 a1=Æa11 wa a1=Øaqd)」のバイアによってである。彼等[解き結ぶ者]、の資格は、裁判での証人となりうる資格と同じである。
またカリフの後継者指名によっても締結されるのであるが、カリフが、一人を選ぶことで纏まるようにと、その問題を何人かの協議に任せるなら、それも後継者指名と同様なのである。
またカリフの資格条件を満たす者が自ら覇権を握ることによっても締結される。より正確には、その者が邪悪である、あるいはイスラーム的教養に欠ける場合も同じく締結されるのである。
イスラームの2大分派であるスンナ派とシーア派の分裂は、預言者の後継者の問題をめぐって生じたが、預言者の後継者がアリーであることは、「アッラーの明示(na)」によるとのシーア派の主張に対し、一般にスンナ派神学では、預言者の後継問題は、「ウンマの選択(ikhtiy±r a1=umma)」に委ねられたのであるとし、アブー・バクルのカリフ位就任を正当化する。「解き結ぶ者」のバイアとは、「ウンマの選択」の理想形の表現なのである。
しかしこの「解き結ぶ者」なる概念は、クルアーン、スンナに基礎を持つ用語ではなく、その意味の内包、外延はともに曖昧であった。スンナ派神学はその初期に於いて「解き結ぶ者」の定足数を定めようと試みたが、その試みは間もなく捨てられ、結局スンナ派神学、法学は概ね、それに「学者及び軍事、政治的実力者」とする内包的定義を与えることに落着くことになる。上記のアン=ナウゥィーの表現もその一つのヴァリエーションなのである。また後には上記のアン=ナワウィーの言葉は、「一般人(رmma)のバイアは顧慮するに足らない」との注釈が付加され[2]、バイアの主体が「解き結ぶ者」であることが更に強調されることになる。
3.
現代のイスラーム世界は、西欧近代諸科学の影響下に伝統的イスラーム諸学の再構成が進みつつあるが、イスラーム法学から自立したイスラーム政治学の成立はその最も顕著な変化の一つであろう。勿論それには、カリフ制の消滅、西欧の植民地化とそれに伴う西欧法の導入という現実への対応の要請があるのであり、その結果、現代イスラーム政治学は、西欧政治哲学を批判しイスラーム的政治観の独自性を強調しつつも、その議論自体が西欧的枠組みの中で行われざるをえない、というジレンマがあり、必ずしも生産的なものではない。しかしカリフ選定に関わるバイアの分析に関しては、現代イスラーム政治学は一定の成果をあげている。
スンナ派では、預言者の後継者のウンマの選定に委ねられたと考える。その根拠となるのが初代カリフ・アブー・バクルのカリフ就任の様態である。
伝承によると、預言者没後アンサール[援助者、マディーナの民]たちは、「サーイダ族の広間」に集り、彼等の中で指導者を立てようとしていた。それを聞きつけたアブー・バクル、ウマルらムハージルーン[メッカからマディーナに避難してきた者]の有力者たちはそれを阻止すべく「サーイダ族の広間」に駆けつけた。そしてアンサールとムハージルーンの間で激しい議論がたたかわされた。ついにはアンサール側が、「我々には我々の指導者、あなた方にはあなたがたの指導者を立てようではないか、クライシュ族の人々よ」と言う事態に至り分裂の危機が生じた。その時ウマルがアブー・バクルに向かい、「アブー、バクルよ、手を差出して下さい」と言い、アブー・バクルが手を差出すと、ウマルは彼にバイアを行った。するとムハージルーンもアブー・バクルにバイアし、ついでアンサールも彼にバイアをした。翌日ウマルは、モスクに集まった人々を前に、ミンバル(説教壇)上のアブー・バクルにバイアを行うように呼掛け、人々はアブー・バクルにバイアをした[3]。
現代の研究はこの伝承を分析し、バイアを二つに分類する。ヨルダンの研究者マフムード・アル=ハーリディーの表現を借りるなら、バイアには「[カリフ位]締結バイア(baiØa al=inØiq±d)」と「服従バイア(baiÙa a»=»aÙa)」の二つがあるのである。「締結バイア」は、「バイアを受けた者を、服従と援助を受け統帥する権利を有する権力者にする」のであるが、一方「服従バイア」によって「カリフは、ウンマが彼の政治的権威(sul»a siy±sµya)に服したことを公にすることが出来、ウンマによる彼のカリフ位の承認に基づく委任を受けるのである。[4]」
またサウディ・アラビアの研究者アブドッ=ラー・ブン・ウマル・アッ=ドゥマイジーは以下のようにのべている[5]。
「締結バイア」とは、「解き結ぶ者」がそれを行い、それによってバイアを受けた者に権威(su1t±n)が生じ、服従、援助をうけ統帥する権利が生じるものである。このバイアは、正統カリフに関する記録の中に明らかに見てとれるものである。「サーイダ族の広間」で教友が行ったように、まず「選定に携わる者」(ah1
a1=ikhtiy±r)」がカリフの選定を行ったのであり、ついで教友たちがバイアを行ったのである。
一方「一般バイア(あるいは服従バイア)」とは、「締結バイア」の後で、全てのムスリムが行うものであり、正統カリフのバイアに於いて行われたことである。アブー・バクルは、「解き結ぶ者」たちが「サーイダ族の広間」で彼にバイアを行った翌日、ミンバルにのぼり、続いてウマルが立ち、彼等が既にアブー・バクルを選びバイアを行ったことを人々に告げ、彼へのバイアを命じ、その結果一般のムスリムが彼にバイアを行ったのである。これが「一般バイア」であり、他の正統カリフについてもアブー・バクルの場合と同じだったのである。
このように現在のイスラーム政治学は、アブー・バクルのカリフ就任の過程に、スンナ派法学の「『解き結ぶ者』のバイア」と「民衆のバイア」の区別の予型を見、バイア
に「締結バイア」と「服従バイア」の区別を発見したのである。
4.
古典スンナ派法学ではカリフ位の締結に関し「解き結ぶ者」のバイアのみを論じ、「一般人のバイア」については、「顧慮するに足りない」と述べるのみであった。しかし西欧民主主義の洗礼を受けた現代イスラーム政治学は、カリフ位の締結に於いて民衆の占めるべき位置に関心を払い、「服従のバイア」の性質について議論が別れる。
スーダンの研究者アフマド・スィッティーク・アブドッ=ラフマーンによると、この問題に関して現代の学者には、「解き結ぶ者」のバイアを最終的なものと考える者と、「解き結ぶ者」のバイアはカリフ侯補の推薦に過ぎず、カリフ位の締結は「一般バイア」をまってはじめて完了すると考える者の二派があると言う。
第一の考えを探る者として、例えばØAbd a1=Hamµd Mutawa11µは、「彼等『解き結ぶ者』と呼ばれる者のカリフヘのバイアだけで、彼のカリフ位は締結され、ウンマの全成員に対し彼への服従が義務となるのである。そしてこのことからも、カリフを選ぶ権利(カリフヘのバイア)を持つのは一般民衆ではないことが明らかになるのである。」と言っており、またAÆmad Sha1abµは「一般人には、大統領(カリフ)の選出になんの関わりもない。なぜなら彼等はこの重大な職務[に相応しい人材]について正当に評価を下し良い選択をすることが出来ないからである。」と明言している。
第二の考え方を採る者としては、Su1aim±n MuÆammadがスンナ派古典法学者の説を解釈して、「…しかし彼等の言葉について熟考すれば、カリフの選出は、『解き結ぶ者』の選択に加え、明示的なものであれ暗黙のものであれ残りのムスリムの同意と選択によってしか完了しない、との結論に達する」と述べており、MuÆammad K±mi1 Y±q¹tも「一般バイア」が考慮されねばならないとしている[6]。
また前述の、マフムード・アル=ハーリディーは以下のように述べ、第一の説の側に立つ[7]。
真相はそれゆえ、ウンマの権威(su1t±n)を実体化するのは、「締結バイア」であり、「服従バイア」ではないのである。なぜなら「締結バイア」の後はじめて、権威はウンマからカリフに移るからである。そしてカリフ位が締結されると、契約の効果が生じ新しい事態が生じるのであるが、それには統治者に係わるものと、被統治者に係わるものがある。そして「締結バイア」によって、国家元首に[被統治者の]服従と援助を受ける権利が生ずるが、「服従」には、彼の統帥権の発生、及び彼の定める諸法律(qawanµn)、政令(aÆk±m)、憲法の遵守が含まれる。そして彼の権利として第一に[被統治者]に課されるのが「服従のバイア」なのである。なぜならそれは彼の権利だからであり、彼は全てのムスリムからそのバイアを受けるのであり、反乱の可能性の感知された者と戦うのも、服従が権利であることに基づくのである。
アフマド・スイッティークは双方の見解を挙げた後、この三人[アブー・バクル、ウマル、ウスマーン]に対するバイアは、マディーナの住民のみによっていたのであり、アブー・バクルの場合、マッカやターイフのような他の地域、またウマルやウスマーンの場合には、エジプトやシリアやイラクなど、ムスリムが征服し、イスラームとムスリムが広がった諸国に居たムスリムは参加しなかったのである……教友の行いが示しているのは、[カリフ]選定は「解き結ぶ者」の権利であるということなのである。そしてそれは「解き結ぶ者」を狭義に、つまりマディーナの中の「解き結ぶ者」と解そうとも、広義に、つまりマディーナの住民が全体として見た場合イスラーム・ウンマの中の「解き結ぶ者」と言える、と解そうと同じ結論になるのである。教友の行いはまた、「解き結ぶ者」の選択こそ、最終的選択なのであり、一般ムスリムの同意の有無には係わらないことを示しているのである。
とのファトヒー・アブド=ル=カリームの言葉[8]を引き、「締結バイア」がカリフ侯補の推薦であり、「一般バイア」によってカリフが定まるとの説が、正統カリフの事跡の分析と両立せず、「締結バイア」こそ最終的決定であることを明らかにした。
5.
現代イスラームのバイア研究論は、バイアに二つの性格を異にする過程があることを明らかにした。これを「バイア二重過程論」と呼ぶとすると、現代バイア研究にはもう一つの特徴的な議論がある。それはカリフの正当性の「バイア一元論」とでもいうべきものである。
すでに見たように、イスラーム法学の議論では、カリフ位は、
1.「解き結ぶ者」のバイア
2.前任カリフによる後継指名
3.覇権
の三つの様態によって締結される、というのが通説であった。しかし現代の研究者は、覇権によるカリフ位の締結、即ち軍事力を背景に自ら覇権を握った者のカリフ位に対して、極めて否定的であり、少なくとも、それを、本来のカリフ位締結手続きではなく、必要悪として一時的に容認された変則的形態であるとするのが大勢である。
「カリフ位締結手続きの法学化」の最初の試みであるアル=マーワルディー(d.1058)のa1=Ahk±m as=su1»±nµya(『縮の諸規則』)には、「カリフ位は二つの様態で締結される。第一の様態は『解き結ぶ者』のバイアであり、第二の様態は前任カリフによる任命(Ùahd)である」とあり[9]、まだ「覇権」はカリフ位締結手続きとして認められておらず、ある意味では現代の傾向は、「カリフ位の法学化」の最初のプログラムヘの回帰とも言える。しかし現代の研究者の中には更に一歩を進め、カリフ位の正当性を唯一バイアに還元する論者もある。ここでその代表的論客ファトヒー・アブド=ル=カリームの議論を紹介しよう。
彼はカリフの任命についての議論を、
1.カリフ位が、征服(tagha11ub)、支配(qahr)、覇権(istµl±Ù)、 ―これらは全て同じ意味である― によって成立するとの説
2.カリフ位が明文による神意(na)により定まるとの説
3.カリフ位が後継制、後継者指名により定まるとの説
4.カリフ位がバイア、選挙(ikhtiy±r)、合意(ittif±q) ―全て同じ意味である― により成立するとの説に四分し、1-3を批判し、4の可能性だけが残るとする[10]。
2の「明文による神意によるカリフ位締結」はシーア派の説であり、スンナ派ではそもそも問題とならないのであるが、彼は3の「後継指名説」についても、故Ab¹ Zahraの「前任カリフによる後任の選定は、単に敬愛なムスリム(mukh1is)としての、イスラームとムスリム大衆に対して、賛同するか否認するかを問うた提案、という以上のものではない」との言葉、故ØAbd a1=Wahh±b Kh11±f、故MuÆammad Y¹suf M¹s±の見解などをひきつつ、前任カリフの後継指名を受けた者のカリフ位も、指名それ自体ではなく、ムスリムのバイアによる任命を根拠に締結されるのだとし、その正当性をバイアに求める[11]。
ファトヒーは「覇権」によるカリフ位の締結については以下のように述べる[12]。
それゆえ「征服」、「実力(q¹w)」は、それだけではカリフ位を締結せしめないということになる。それにはムスリムの集合体によるバイアが伴わねばならないのである。そしてそれが完了したなら、そのバイアこそがカリフ位締結の用件なのであり、「征服」、「実力」ではないのである。これが第一の観点からの批判であるが、別の観点から、この見解[覇権説]の持主が彼等自身の見解に付している条件によっても批判できる。
それの条件のうち、我々の考えでは最も重要なのは、「その覇権によって、ムスリム全体、一体性の統合を成し遂げる限り」という条件なのであるが、それは不可能とは言わないまでも、困難なのである。つまりムスリム全体、一体性の統合は、ムスリムがその覇者にバイアを行うことによってしか、達成されないのであるが、もし人々がバイアを行ったら、「実力」ではなく、このバイアがカリフ位締結の要件なのであり、もしバイアを行わないならムスリムの全体、一体性の統合は達成されず、それゆえ条件に反することにな、り、条件に反する以上、「実力」はカリフ位成立に影響しないのである。
このようにファトヒーの「バイア一元論」は極めて徹底しており、「覇権によるカリフ位」についても、それを変則的事態と見做すだけでは満足せず、その正当性をバイアヘ還元するのである。
(つづく)
[1] MuÆammad ash=Sharbµn´, Mughnµ al=muÆt±j,
Cairo, 1958, vo1.4, pp.130-132.
[2] ash=SHarawanI,Ibn
Q±sim al=Øabb±dµ, Åaw±shµ al± tuÆfa al=muÆt±j, Beirut, n.d., vol.9, p.76,
ar=Rmlµ, Nih±ya al=muÆt±jI,
Cairo, 1967, vo1.7, p.410.
[3] ØAbd A11±h ØUmar ad=Dumaijµ, a1=Im±ma a1=Øuzma, Riyad, 1987, pp.144-147.参照。
[4] MaÆm¹d a1=Khlidµ, MaÙ±lim al=Khl±fa, Beirut-Anman,
1984, pp.92-93。
[5] ØAbd A11±h ØUmar ad=Dumaijµ, op.cit.,p.220.
[6] AÆmad Siddµq ØAbd ar=RahÆm±n, a1=Ba1Øa, Cairo, 1988, pp. 101-105,参照。
[7] MaÆm¹d al=Kh±lidµ, op.cit.,
pp.95-96.
[8] AÆmad ªiddµq ØAbd ar=RaÆman, op. cit., pp.108-109.
[9] al=M±wardµ, AÆk±m al=sul»±nµya,
[10] FatƵ ØAbd a1=Karµm, ad=Daula
wa as=siy±da, Cairo, 1984, pp.225-247.
[11] ibid., p.244.
[12] ibid., p228.