独占インタビュー

アトランタ・オリンピック公園爆弾事件報道被害者リチャード・ジュエルさんに聞く

浅野健一 

第1部 リチャード・ジュエルさんに聞く

リチャード・ジュエルさん

 

第2部 メディア研究者の見解

インタビュー英語原文へ

 

第1部 リチャード・ジュエルさんに聞く

「河野義行さんとお会いしたい。オリンピック(五輪)をゆっくり楽しむどころではなかったので、長野五輪へ行って五輪を楽しみたい」。

一九九六年八月初めから是非会いたいと思っていた人が目の前に現れた。大リーグのアトランタ・ブレーブズの野球帽をかぶって現れたその人こそ、リチャード・ジュエル氏(三四)だ。一九九六年七月二七日、米国ジョージア州アトランタの五輪記念公園で起きた爆弾事件の犯人であるかのように全世界に報道された警備員である。

ジュエル氏はマスメディアの取材を原則として断っているが、私の取材意図を理解してくれて、九七年三月二七日と二八日の二日間にわたって、合わせて約五時間インタビューに応じてくれた。場所はジュエル氏を支えてきたワトソン・ブライアント弁護士の法律事務所と郊外のレストランだった。

日本のジャーナリスト、研究者がジュエル氏にインタビューしたのは初めてのことである。ブライアント弁護士は「ユー・アー・ナンバー・ワン」と言ってくれた。当分、内外のマスメディアとはインタビューに応じるつもりはないとのことで、貴重な聞き取り調査となった。

このインタビューについては「潮」六月号に発表したが、それに少し加筆してこのホームページ上でも発表することにした。感想や意見をお寄せください。

(E-mail: kasano@doshisha.ac.jp)


TBSのニューヨーク特派員で、「スペースJ」キャスターだった下村健一氏から、九六年八月九日朝国際電話があった。「アトランタで河野さんと同じような報道被害が起きた。浅野さんの出番ですよ。松本の場合とそっくりだ」という連絡があった。米国の四大ネットワークの一つ、CBSテレビは八月八日夕方(現地時間)のイブニング・ニュースで、アトランタ五輪百年記念公園で七月二七日起きた五輪公園爆弾テロ事件を捜査している米連邦捜査局(FBI)は、重要参考人として任意で事情を聞いていた同公園のAT&Tのパビリオン「音楽タワー」(sound tower)の警備員のリチャード・ジュエル氏を、事件とは無関係と断定、「予想外の証拠が出てこないかぎり、ジュエル氏に近く「公開謝罪することを検討している」と伝えた。FBIは公式の謝罪をしなかったが、二カ月半後に被疑者ではないという手紙を弁護士に送った。

この番組で、ワシントン・ポストのメディア記者、ハワード・クルツ氏はこうコメントした。「プレスは(誰が犯人かの)審判に突撃したことで金メダルに値する。メディアは自宅前の芝生上にキャンプを張り、ジュエル氏の写真を世界に発信し、彼個人の過去について暴いた。有罪か無罪かを全く考えもせずに。この人の人生を破壊した」「ジュエル氏を告発するに十分な証拠を持っていない捜査官たちが、身元を明かさずに、メディアを利用して、いかにも捜査が最終局面にあるかのように見せ掛けてジュエル氏に圧力を掛けるために、彼の名前を浮上させた。その通りになった」。人気キャスターのダン・ラザー氏は「ジュエル氏は世界中のマスメディアの狼たちの餌食になった」と断じた。

リチャード・ジュエル氏はアトランタ五輪の組織委員会のビルの前につくられた五輪百年記念公園のAT&Tのパビリオン「音楽タワ−」(sound tower)の警備員をしていた。ジョージア州北部のハーバーシャム郡の保安官事務所で副保安官を務めていたが、母が手術を受けることになり一人息子の彼はアトランタに戻ることを決意した。ピードモント大学の学内警察の仕事をした後、ちょうど五輪が開かれることもあり、五輪関係の仕事をしたいとも考え、ロサンゼルスに本社のある警備会社に雇用されて同パビリオンの警備に当たっていた。

爆発直前に不審な小型リュックがあるのを発見、警察に通報。これを受けて観客を移動させたため被害の規模を最小限に押さえたとしてメディアで「英雄」扱いされた。この爆弾事件では死者一人、負傷者一一一人。取材中のトルコ人写真記者一人がショック死した。

爆発の三〇分前にはアトランタ市警に爆破予告電話があった。

クリントン大統領が記者発表で、ジュエル氏の名前は挙げなかったが、警備員の迅速な対応を称賛、ジュエル氏は二七日午後八時二〇分からCNNに生出演し「現場近くの芝生にいた観客一五〇人を移動させた。できることはすべてやったが、今から思うと会場のすべての人を避難させるべきだった。世界の祭典の会場でこんな事件が起きて悲しい」などと語った。

 

ジュエル氏への疑惑を最初に報じたのは地元の夕刊紙アトランタ・ジャーナル。七月三〇日の号外で「『英雄』が爆弾置いたとFBI疑う」と大きな見出しを掲げて報じた。ケント・E・ウオーカー記者の署名記事だ。ジュエル氏の姓名を明記して、小型リュックの第一通報者であるジュエル氏が「単独の爆弾犯(lone bomber)の特徴に当てはまる人物」だと書いた。「ジュエル氏は、同紙を含めてメディアに接近して、英雄になろうとした。FBIは現場で撮影されたビデオを分析、ジュエル氏が写っているかどうか調べている。捜査当局が所有する三台の覆面の乗用車がジュエル氏の母親のアパート前に停っている。ジュエル氏は、クリントン大統領と握手をすることになると思うと語っていた。彼は過去三日間メディアを駆け回り、英雄的行為を伝え、自分は英雄なんかではないと慎ましやかに言っていた」。

CNNがこの号外を示しながら、FBIがジュエル氏を被疑者として捜査の対象にしていると報道。事件後に、CNNに出演した映像をオンエアした。した。日本でも三一日の夕刊から「警備員を参考人聴取 『不審物』の通報者」(朝日)「警備員から聴取 不審物の第一発見者」(読売)「警備員にテロ容疑」(毎日)「警備員が犯人としたら米国民のショックは大きい」などと大きく報道された。

この日から警備を強化して五輪公園は再開された。

爆発物取り扱いの訓練を受けているという情報が流れた。かつてジュエル氏が勤めていたピードモント大学の幹部たちが目立ちたがり屋だとか(overzealous behavior)ひどいコメントを連発した。同僚に「五輪で何か大きなことが起きたら、俺はその真っ只中にいるはずだ」などというデマが報じられた。

米連邦捜査局(FBI)はこれらの証言を使って家宅捜索令状をとった。メディアがつくりあげた世論を悪用したとも言える。

FBIは七月三一日午前九時すぎから、アトランタ郊外にあるジュエル氏の自宅アパート(母親宅)を家宅捜索した。

FBIのデイビッド・ダブス特別捜査官は報道陣に対して「彼は捜査対象の一人だが、まだ逮捕もしていない。同意のもとに捜索しているので、強制捜索でない」と語ったが、メディアが一斉にジュエル氏に対し疑惑報道するのを放置した。

この爆弾事件では米国の威信、五輪の権威が揺らいだ。何としても加害者を特定し処罰しなければならないというプレッシャーがあった。

NBCは一月に五〇万ドル以上の和解金を支払うことで合意。「逮捕は間近」「頭のおかしい爆弾犯」(mad bomber)などとコメントしたので、裁判で負けるのは必至と見たのだろう。CNNも二月に和解した。和解金は不明だが、CNN広報部のスティーブ・ヘイワース副部長によるとNBCより少ないという。

ジュエル氏はアトランタ・ジャーナルを提訴したが、同紙は三月二八日に裁判所に対して、棄却するよう求めた意見書を提出した。米国の他のメディアがどう報道したかを網羅した資料を付けており、全面的に争う姿勢を示した。

 

親友以外の世界中の人が敵だった

インタビューにはジュエル氏の代理人を務めるワトソン・ブライアント弁護士が同席した。事実関係に関するブライアント弁護士の補強説明をジュエル氏の発言に加えた。インタビューには、アトランタ在住で連絡役を務めてくれた栗島敦子さんと同志社大学の私のゼミ学生二人も参加した。

「私の方こそこういう機会をつくっていただいて感謝します。こんなに遠くまで来ていただいて申し訳ない」。ジュエル氏は河野義行氏のことをよく知っていた。「日本でサリン事件の加害者と間違われた人のことをよく覚えている」。河野氏のケースとジュエル氏のケースを比較検討して、犯罪報道をどう改革していくべきかを考えるのが調査の目的だと説明した。

「何でも聞いてください」と極めて協力的だった。

ーーFBIの捜査とメディア報道についてどう思っているか。

私は爆弾事件があった現場の区域で警備をしていたので、事情を聞かれることは分かっていた。それはFBIの仕事だ。しかし、私の知らない間に、自分が事件を起こした人物と疑われる(point out)ということは推測も含め思いもつかなかった。

大変恥ずかしかった。屈辱的であり、裏切られたような思いだ(betrayed)。家族も含めてだ。傷ついた(humiliated)。私に関して、また自分の人生について嘘をいっぱい報道された。あまりにも多すぎて、それを聞いた人たちのところへ出かけていって、いちいち訂正するわけにはいかない。とにかく嘘が多い。一つの嘘にまた違う嘘を積み重ねていくのだから。

(苦痛の内容を)とにかく表現するのは難しい。自分の生活について全くかまわない人たちによって、自分の人生を操作された(manipulated)感じだ。情報が真実かどうか、正しいかどうかを気にしない人々によってストーリーにされてしまう。これはニュース報道ではない。そんな状況で我々に何ができるだろうか。

メディアはマイクを突き付けて、私に「私はやっていない」と自分で防御させたがった。そうすれば、彼らが聞きたい他の五〇の質問を次々に浴びせることができるからだ。これはほとんどメディアが遊ぶためのゲームと言っていい。

日本でも同じだと思うが、想像してほしい。 あなたが殺人事件の犯人だた名指しされたら、どう思うか。人間の尊厳を失ってしまう。死刑執行の電気いすに座らされたようなものだ。彼らは、何が真実かは気にしない。

ーー取材報道は知人にも及んだのか。

ジョージア州北部の友人と昨日話した。事件後初めて連絡があったのだが、FBI捜査官は、彼や彼の友達に一二時間から一四時間も事情聴取して、私に関する情報を集めた。間断なく質問したという。クレージーだ。FBIは私に的を絞ったが、何の証拠もないので私を知る友達のすべてに事情聴取した。そのうち私の友人だけでなく、私を知っている人たちに何時間も事情聴取して、私がどんな人間かについて尋問した。私がやったという前提で聞いており、一方的で客観的ではなかった。

彼らは、入手した情報を歪曲して、すべてネガティブな情報にした。例えば私は九五年に「郡の市民賞」(man of the county)に選ばれた。山間部のボランティア救助活動が評価された。彼らは知っていたが報じなかった。いい話はすべて排除した。

彼らは私が警官の仕事をしていたときの個人情報ファイルを持っていたが、私についてのいいことはすべて無視した。個人ファイルを入手したFBIとメディアはプライバシーを侵害したことになる。実際はabsence of maliceだ。

ーー報道陣の振る舞いはどうだったか。

皆さんも日本でビデオを見たと思うが、自宅に帰ったときに、二〇〇人の報道陣が待ち構えていた。私を取り囲み、私のことを罵倒しながら、つっついたり、触ったり、押したり、叩いたりされた。「殺したのか」「爆弾で人々を吹き飛ばしたのか」「やったのか」などと聞いた。母も同じ目にあった。「あなたの息子は人殺しか」と聞いた。この事件で、彼女は昔の彼女ではなくなってしまった。

ーーそういうひどい質問をしたのか。

 質問というより、あてこすり(insinuation)だった。

ーー報道被害は今も続いているのか。 

この事件のことを思いだしたくない。忘れたいと毎日思うが、なかなか忘れられない。私の健康にも影響している。私の仕事(career)の将来にも影響している。私の中にある私のすべてが事件で変わってしまった。昔のリチャード・ジュエルを取り戻すために努力するが、非常に困難だ。あまりにたくさんの人々が自分を踏み付け、傷つけた。

この事件で性格が変わった。私はもともと外向的な性格だった。永久に傷ついた。変わってしまった。あまりにも多くのことが起こったので、簡単ではない。自分が自分でないような感じだ。

しかしながら、毎日努力はしている。あまり昔のことは考えないで、未来の方を見つめてがんばって生きいぇいきたいと思う。

神に感謝したいが、私をよく知っている二〇人、三〇人の人たちは私を支えてくれた。それ以外の世界中の人たちは、私たちに敵対した。自分をサポートしてくれた人たちから「信用すること」などを学び、人生を再構築したい。 

ーーアトランタ・ジャーナルの号外はいつ知ったのか。

あなたはこれ(同紙号外の現物)をどこで手に入れたのか。私はいまだに持っていない。弁護士が一部持っているだけだ。号外で配られた。新聞社はこの号外を見られたくないので、どこにもない。貴重品だ。この日に配られた号外の第二版で、ブライアント弁護士は六時四五分から五〇分の間に五輪記念公園でこの号外を手にした。車から私に連絡しようとした。午後七時にFBIへ電話して私を探したが、FBIは私がいないと嘘を言った。私からの留守番電話で私がFBIにいることが分かった。彼は七時にもう一度FBI電話して、FBIが嘘をついたと抗議してた。弁護士との交通権の妨害は憲法違反と厳重に注意して、私と話した。

私は、もう既に二時間事情聴取されていることを伝えた。弁護士は修正憲法六条違反、黙秘権など憲法上の権利を侵害していると指摘した。彼は、新聞を見ているかと私に聞いた。記事の内容を聞いて驚いた。逮捕しているのかと聞いたが違うというので、事情聴取は打ち切って帰宅することにした。  

FBIは私に関して、彼が爆弾犯であるということを示すために何か怪しいこと、汚いことばかりを集め、私が品格のある人間(decent person)であるという情報はすべて排除した。  

私を「○○になりたがり屋」(wannabe)であるとか、目立ちたがり屋だと報じた。私はAT&Tのつくった展示場を担当する警備員だったので、AT&Tが宣伝になると思って、私を使ってパブリシティを考えた。会社が爆弾を発見したかのように宣伝した。会社の広報がメディア各社にインタビューを申し入れてセットした。私にAT&Tのマーク入りのTシャツを着させてメディアの取材を受けさせた。当時アトランタには一万五〇〇〇人の記者がいた。記者はみんなネタがほしかった。

この記事には「ジュエル氏は本紙を含めプレスにアプローチしてきた」と書いているが、大嘘だ。私の方からメディアに声を掛けたことは一度もない。CNNは二〇回から三〇回、至急連絡を(urgent)というメッセージを留守電に入れていた。仕方なく出演した。

CNNはキャスターがこの号外を手にしてオンエアした。

私は警察官だったから爆弾事件で対応したことはあるが、どうやって爆弾をつくるかは全然知らない。

FBIが被疑者として犯人かもしれないと疑っているという事実しかない。実際に犯人であるかどうかは別にして疑っているいうだけだ。しかしこの記事を読めば私を怪しいと誰もが思う。

ーーアトランタ・ジャーナルは報道に誤りはないと断言しているが。

アトランタ・ジャーナルは社員に箝口令を敷いている。被害を最小限に押さえるためにだ(damage control)。同紙の人たちは「被疑者とされたことについて気の毒だと思う。我々は仕事だった」と言うだけだ。

この新聞にはもっとひどい記事が後で載った。アトランタの歴史上、最も凶悪な犯罪と言われているウエン・ウイリアムズの事件があった。三〇人以上の子供を殺したと言われている。二年間の連続殺人事件だったが、加害者を特定できなかった。アトランタ・ジャーナルのコラムニストのデーブ・ケンドリック氏が、ウエン・ウイリアムズは監獄におりジュエル氏はアパートにいる、爆弾犯は馬鹿(fool)と書いた。次の日には同じコラムで英雄は馬鹿(fool)と述べた。つまり私は爆弾犯というわけだ。  

新聞社は悪いことをしたと知っているのに、訂正しない。間違いを認めない。

我々は人間(human)だから許せない。捜査当局が間違えたというのだが、政府の言うとおり信じて書いたことが誤りだ。

この新聞は訂正するどころか、事件から六カ月後に犠牲者、遺族の声を集めた特集記事の中で、私の写真を載せて「リチャード・ジュエル氏は映画会社と数億円の契約を結ぶ」という記事を掲載した。被害者の苦しみ、痛みが許せない。「National Inquiries」みたいなイエロー・ジャーナリズムだ。このアトランタ地域でただ一つの新聞だから影響が大きい。

ーー九六年一〇月にFBIがジュエル氏について被疑者ではないと発表してから、メディアは一八〇度態度を変えたことについてどう思うか。

私が犯人ではないという記事の見出しは、犯人だという記事に比べると小さい。日本でも同じだったのではないか。

私は当時、メディアが私にやったことを許せないと思った。メディアに会って話をしたのは、米国の国民にメディアとFBIがしたひどいことを伝えたかったからだ。

地元のメディア、全国メディアのほとんどは、こういうふうに同じテーブルで話し合うことは絶対ない。

全国メディアは一週間ほどで軌道修正したが、地元メディアは六週間半、容赦なく執拗に(relentless)取材報道した。

最初の三日間はアパートの前の通りに、群がっていたが、通りからはアパートの中は見えない。私有地だったので所有者に報道陣をどけさせてもらった。そこでメディアはプール取材を始めた。ABC、CBS、NBC、CNNの四大ネットは私たちのアパートの斜め向かいの、丘の上にあるアパートをサブリースして、テレビカメラを四台設置して監視した。母親のアパートの寝室が覗き見えるような位置だった。集音マイクも備え付けた。窓を開けたり、玄関に誰か来たり、犬を散歩させたりすると、その度にカメラが来た。通りを隔てて 一カ月以上続いた。そのアパートに住んでいた人に別のいい住宅を提供して、高額の賃貸料を支払った。明白なプライバシーの侵害だ。

母親に対するプライバシー侵害について、ABC、CBS、NBCを訴える。NBCとは和解したが、愚かにも母親のことは和解内容に入っていないのでまた訴えることができる。CNNは母親も含めて和解したので訴えない。

修正憲法第一条で保障された報道の自由、ニュースを伝える権利が彼女のプライバシーの権利を上回ることを証明するのだろう。それが正しいかどうかは裁判所が判断する。

ーー母親や家族の人たちへの取材はどうだったのか。

最初に母が顔色を変えたのはNBCのトム・ブロコウが私についてしゃべった時だ。私たちは彼の番組を一緒に見ていた。彼が私のことについていろんなことを述べたときに、母の顔から血の気が引いたようだった。母はどういうことかと私に聞いた。何と言っていいか分からなかった。七年間警察官をしていた。いろんなことをしていた。主に田舎にいてドラッグ捜査などで家屋に踏み込んだり危険なことも少なくなかった。母は私の仕事のことを心配していた。五輪公園で爆弾を見つけて多くの人々を助けたということで、私がしたことについて誇りに思っていた。

母はトム・ブロコウを心から尊敬しており、番組を毎日見ていた。彼がpurpleと言えばそうだと信じた。彼が私のことを言ったときに、本当ではないと分かっていた。自分が育てたから、私がどういう人間か知っていた。

おじさん、おばさんも小さなコミュニティに住んでおり、めちゃめちゃにされた。周辺の人々は私が有罪と思い込んでいろいろ言った。おじやおばは、私の甥は犯人ではないと主張した。親類も影響を受けた。

悪いことに、メディアはその影響を考えない。メディアの人たちが言うこでどういう影響がでるかを真剣に考えない。私は単なる中間階級の人間(middle class guy)の人間。しかしメディアの人は大企業、大組織に雇われている。アパートに住んでいる人間について誤った報道をしても、「仮に私たちが悪いとしても、どうしたらいいというのか。何をしてほしいというのか」という態度だ。これは本当におっかない、恐ろしいことだ。

 大企業の興味の対象はお金だけだ。

多くの人たちが私がやろうとしていることを止めて、あきらめたほうがいいと忠告する。巨大な怪物(big、huge monster)を相手に裁判で闘うのは大変だから。しかし私はあきらめない。メディアの人々に考えてもらいたい。損害賠償のお金を取ることにより、彼らにも痛みを知ってほしい。自分が報道することで本人、家族がどういう被害を受けるかを考えてほしい。私にやったことを思い起こしてほしい。同じようなケースがあったときに、「リチャード・ジュエルのケースを覚えているか。同じようなことをしてはならない」。メディア関係者は現在は何も考えていない。

こう言うと何か復讐(revenge)のように聞こえるかもしれない。しかしこれは復讐ではない。痛み(pain)を知ってほしいのだ。私が経験した痛みを他の誰にも繰り返してほしくないから闘うのだ。再発を防ぐためだ。

どうしてこういう報道をしたのかを尋ねていく。例えばアトランタ・ジャーナルに対して、なぜこういう記事を書いたのかを法廷で明らかにしていく。「ニュース報道だった」というのだろうか。

ーー「ニューズウイーク」九六年八月一二日号に「The 'Wanna−be' Hunt」というタイトルで、FBIはジュエル氏について物証のないまま強引な捜査を展開していると書いているが、その記事にM−16ライフルを手にするジュエル氏の写真が「疑惑の下で」という写真説明と共に載っている。

私は麻薬関係の取り締まりに当たっていた。郡の中で、警察学校でライフルを撃つ訓練を経験した副保安官二人のうちの一人だった。AR−15を持つ免許も持っている。悪魔信仰の団体(devil worshipping)を捜索した時、三人で一八世紀からある家を捜索した。仕事を終えて、仲間の警察官と一緒に捜索した家を背景に記念写真を撮った。かつての同僚が「ニューズウイーク」にこの写真を売った。同誌は私が民間武装組織とも関係があるかのように歪めて報じた。こういう風に写真を説明すると、いかにも怪しそうだ。このような記事では悪い人間に見える。

交通事故で救助した子供と一緒に撮ったような写真は使わない。

これも私のイメージを悪くするニュース報道の一つだった。不正確でバランスを考えない、真実ではない記事だ。

ーー母親がクリントン大統領に対して訴えたが、大統領から何か反応はあったのか。

テレビで中継されていた記者会見で、大統領に対して、息子を助けるよう求めた。民主党の大統領候補決定の大会の前日だったので、返答を期待した。しかし大統領報道官が「司法省で捜査している」と述べ、ジャネット・リノ司法長官は「捜査が進行中なのでコメントできない」と言明しただけだ。

母は大変だったと思う。私も記者会見したが、母のほうがよかったと思う。

ーー日本の新聞に、あなたが事件の二日前に「僕は近じか有名になるから写真を撮ってくれ」と言ったと書いているが、本当か。

全くの嘘だ。そんなことは誰にも言っていない。

ーー日本でも例えば、月、日の毎日新聞が報じている。

冗談でも言っていない。同じような報道は全米各地でもなされた。政府は誰がそういうことを言ったのかをいまだに明らかにしていない。誰かが言ったはずだ。

ーーなぜそういうことをしたのか分かるか。

 なぜかは分かっている。五輪をスムーズにすすめるために誰かに責任を押しつけるためだ。五輪を安全に続行するために、市民や観光客を安心させるために爆弾事件の犯人を押さえているということを示すためだ。そのために私をスケープゴートにしたのだ。爆弾犯が分かったから安心、と宣伝した。結果的に犯人でなくてもよかった。誰かの罪にすればみんなが安心するという状況であった。

ーー捜索令状がなぜ安易に出されたのか。

 捜索令状を申請する際、 私の言葉をつまみ食いして書いた。

私がかつて逮捕した人たちに、どういう人間かについて聞いた。爆弾訓練の経験があるというが、警官だったから当たり前だ。巧妙に爆弾犯に見えるような証言だけを引用して判事に提出した。これは陰謀(conspiracy)だ。担当判事は前職が連邦政府の検事だった。 ーーウソ発見器について。

ウソ発見器を使いたいとFBIが言ったが、それまでFBIはいろいろな嘘を私についてきたので信用できないと断った。元FBI捜査官で二七年間ウソ発見器の専門官だった人に、三つの違ったテストをしてもらった。計九回テストを受けたがすべてがネガティブだった。テストの結果をFBIに提出したが、「これでは不十分だ」と言われた。

FBI捜査官三人を告訴する。家宅捜索令状を出した判事を告訴できるかどうかは分からない。

ーー八月七日のジャパン・タイムズは、ジュエル氏の自宅から爆弾の破片が見つかったと報じている。

爆弾の破片ではない。タワーの周りにブリキ製のフェンスがあった。その破片だ。現場検証がすべて終了してから日曜日に、現場の瓦礫、ゴミをトラックに積んで撤去した。その時に警官たちが三つの破をくれた片。FBI捜査官が家宅捜索に来たとき見つけて、「なぜこんなものを持っているのか。これは証拠品だ」と追及してきたので、「証拠ではない。単なるゴミだ。警官にもらった」。「誰が渡したのか。そういうことをしてはならない。誰か言え」と聞かれた。警官に迷惑を掛けるので、名前を言わなかった。それが印象を悪くした。FBIがメディアにリークしたと思われる。

フェンスの破片と知っていて報道したのかしれない。爆弾の破片とゴミの破片では全然違うが、訂正しない。フェンスの破片ではニュースにならない。恐ろしいことだ。

ーーFBIが捜査を誤ったことが原因だが、メディアもそれに追随した。どちらがより悪いのか。

FBIはメディアのあり方について注意深く考えるべきだ。FBIの仕事は捜査し、法を執行する(prosecute)ことだ。プレスの仕事の外にいるべきだ。FBI当局者はメディアにしゃべるのを止めるべきだ。それは違法だ。とくに捜査段階ではそうだ。FBIは「だれがリークしたか分からない」というが、実に便利な言い方だ。

ーーメディアの責任は。

FBIが言ったからといって事実とは限らない。FBIなど政府機関が情報を流す意図は何かを疑うべきだ。捜査官の言うことを信じて報道するのは極めて便利だ。記事を他社よりも早く書きたいという気持もあるだろう。しかし、当局者から聞いたことをすべて信じるのでは記者ではない。

ーーアトランタ・ジャーナルの服編集は、個人の人権よりも一般市民全体の安全、治安の維持がより重要と言っている。どう思うか。

私にスポットライトをあてて、犯人扱いした。これは報道(reporting)ではない。

アトランタ・ジャーナルの記事の中に引用されている言葉は誰が言ったのか全く不明だ。情報の出典を明らかにする(attribute)ことを怠っている。誰がそう言っているかを隠している。

二月に同紙を訴えた。

カナダ、オーストラリア、スウェーデンでは一般市民が疑われている場合、捜査段階では報道をかなり抑制すると聞いている。

ーーFBIを訴えるのか。

FBIの三人を既に訴えている。また私が前に勤務していたピードモンド大学のレイ・クレア学長も訴えた。この学長は地元、全国メディアに対して、私について、たくさんいいことを言ってくれたので訴えた。

ーー米国のメディアは犯罪報道、とくに捜査段階での報道のスタイルを見直そうとしていない。このままでは第二、第三のジュエル氏が生まれるのでは。

 メディアの振る舞いは、過剰な取材報道、基本的な原則からの逸脱、行き過ぎた報道など問題が多い。(overreactive,lacking in some fundamental overaggressive inreporting)。記事を書く前に私のことを思い起こしてほしい。これは米国だけでなく、世界中のジャーナリストに言いたいのだが、記事を書くときに、私のことを二度考えてほし。ジュエルのことを思い出して、特別にあと一秒、あと一分、一時間、一日、一週間、一カ月、一年(extra minute,hour,day,month,year)考えてほしい。

ーー北欧などでは一般市民が被疑者になっている場合、捜査段階で匿名にすることを原則にしているが、こういう方法をどう思うか。

そういう原則を導入したからといって、誰かが傷つき困ることが何かあるだろうか。何もないと思う。メディアは何が起きているかを伝えればいい。捜査対象の姓名は重要ではない。初期報道はとくにそうだ。捜査がすすみ誰がやったかが裁判で明確になればいいかもしれない。姓名がニュースではなく、何が起きているかがニュース。被疑者に当局が何をしているかがニュースだ。私の姓名を報道する、しないは関係ない。姓名が報道されると本人、家族の生活がすべて破壊される(ruin)。永久にだ。

日本中の人たちが私を犯人だと思っただろう。今どう思っているだろうか。顛末をきちんと知っているだろうか。私が犯人でないと知っているか。米国政府は手紙を送って訂正したか。

ーー訂正報道を見ていない人もいる。最初の報道が大きな印象を与えている。

初期の報道。疑いが晴れたという記事は一面にはいかない。

ーー北欧や英連邦の報道の仕方に賛成ということか。

姓名を報道しないことで、何の不都合もないと思う。被疑者の姓名は重要ではない。何が起きたかが大切だ。有罪と決まっていないのだから。罪を認めたときは話は別だ。強姦、放火などの事件があって、被疑者が罪を認めていないなら姓名を伝えるべきではない。捜査の対象になっているその人の姓名は、人々が考えるほど重要ではない。姓名を報道されて私の生活は完全に破壊された。母親や家族に苦痛を与えた。有罪とはっきりしたらその段階で報じればいい。

ーーあなたの教訓が生かされていないのか。

デンバーの少女(ジョンベネさん)殺人事件の捜査と報道は前よりましだと思う。記者会見も頻繁に開いている。私のことがあって少しの間に起きたので、注意深くなっていると思う。(short live)。FBIによるリークもほとんどない。

大会社を相手にする場合、お金をとるしかない。メディア企業もビジネスだ。会社が気にするのはお金だ。人々を傷つけたり、環境破壊をしてもほとんで気にしない。銀行を一番気にしている。

私も修正憲法第一条の言論の自由を尊重する。しかし有罪と分かるまでになぜ姓名を報道するのか。

世界中の人に考えてもらいたい。私はこの国の人々のためだけに闘っているのではない。五輪の時に起きた事件だから、世界中の人たちが私のことを知っている。世界中の警察、報道関係者に考えてもらいたいのだ。二度と同じような悲劇を他の人に起こしてはいけない。

ーーメディアを見る目が、この事件の前と後で変わったか。

今はメディアが言うことを一つも信じない。絶対に信じない。すべてストーリーだと思っている。

以前は母がブロコウの言うことを信じたように私も信じていた。

今は自分の目で確認するまでは信じない。

メディアは商売のことしか考えていない。新聞を売ることしか考えない。

ーー事件までは新聞をとっていたのか。

ジョージア州北部にいたときは週一回発行される新聞しかなかった。今は新聞をとっていない。母は今もアトランタ・ジャーナルが私についてどう書くか監視するために購読している。

ーーハリウッドの映画会社が映画をつくるというのは本当か。

 映画会社は真実を引き伸ばす(stretch the truth)したり、話を変えたりすることがある。弁護士のとこりに話がきているが、まだサインしていない。ハリウッドが話を変えたりしないように注意しなければならない。世界の人々に私の体験を正確に知ってほしい。何が起きたかを正確につくってほしい。歴史的に正確な映画にしてほしい。間違った解釈をされては困る。映画の脚本を読むまでOKしない。

−−今後の生活設計は。

 過去一〇年間捜査、警備の仕事をしてきたので、これからもそういう仕事に戻りたい。法の執行者、警察官に戻りたい。

ーー河野さんと会ってほしい。

河野さんとぜひ会いたい。違う川の同じ船に乗ったようなものだ(sameboat in different river)。私は外国に行ったことがなく、パスポートを持っていないが、ぜひ訪日したい。

河野さんのケースでは、実際にやった人たちが見つかったようだが、長い間犯人扱いされたと聞いている。私と同じように、周囲の人々に犯人だと指をさされた。

私たちも殺してやると脅されたこともある。母と私は見知らぬ人が近寄って来ると、注意しなければならない。ハローと言った後に、サインしてくれというかどうかを聞くまで、その目的をチェックするまで安心できない。自分の家族が被害に遭った人は私を憎んでいるかもしれない。

ーー河野さんと私は日本で犯罪報道を改革するための運動を行っている。ぜひジュエル氏と協力したい。

河野さんと一緒に米国に来て、この国の犯罪報道を変える運動を起こしてほしい。そういう運動が必要だ。河野さんと一日も早く会いたい。

 

母親に聞く

 三月二八日夜、アトランタ郊外のレストランでジュエル氏の母、ボビー・ジュエルさんに会った。「ボビーと呼んでください」。温和な女性だ。保険会社の苦情相談員を務めている。録音していいかと聞くと、「我々はこういうのに慣れているから、いいですよ」と笑って答えた。

《一連の取材報道で人権を奪われた。投げ飛ばされたようだった。七月三〇日からのことはすべて架空のこと(unreal)のようだった。ハリウッドの映画のようだった。白黒映画を見ているような感じだった。不必要な取材だった。とにかくひどかった。血の流れた牛に群がるピラニア(piranha on the bleeding cows)のようだった。こういうことが二度と起きないようにしてほしい。

今でも誰かが階段の下から私の写真を撮ろうとすうるのではないかという気がする。今もそういう心配がある。頭の中に残っている。

七月三〇日(火)から八月一日(木)までの三日間が最もひどかった。リチャードは運輸省に電話して、私有地だから出るように求めた。そこで四大ネットはアパートの前にあるアパートを借りて三〇日間もカメラを私のアパートに向けてプール取材した。一日一〇〇〇ドルで借りたと聞いている。

子供たちが「彼がやったの」と叫んだ。ブライアント弁護士が報道陣と我々の間に入って、取材の方法を考えるよう要請した。市民に尊敬の念を持つよう求めた。

一一日間外出しなかった。病院にも行けなかった。

取材や写真を撮るために何でもした。窓を開けるとシャッターが切られた。

隣の人や妹にスーパーに行ってもらった。犬の散歩も隣人に頼んだ。

アパートで一切外出せず生き延びた。FBIは家宅捜索で、台所の用品から住所録まで何もかも持っていった。私の車の中の物まで押収した。

私の家に来た妹たちは、約二時間捜査官に拘束されて事情を聞かれた。妹の車の中も捜索された。台所用品からデズニー映画のビデオまで押収していった。

報道被害についてぜひ英語で本を出してほしい。米国の大学でジャーナリズムを教えてほしい。

 

ジュエル氏を支えた弁護士

ワトソン・ブライアント弁護士は一〇年前にジュエル氏と同じ職場で知り合った。二人は連邦政府の中小企業庁のアトランタ支局で働いていた。爆弾事件があった翌日夜にジュエル氏はブライアント氏に電話した。「ある人が本を出版したい、と言ってきた。冗談だとも思ったが、真剣にすすめられたので。出版契約を結ぶためには弁護士と相談したいと思った。久しぶりに電話したが、すぐに引き受けてくれた」。ジュエル氏はブライアント弁護士を信頼している。

弁護士はアトランタ・ジャーナルの報道を激しく批判する。

《ジュエル氏がFBIで事情聴取を受けたとき、逮捕されているかと聞いたら、していないと答えた。被疑者の実名報道については異なった見解があるだろう。修正憲法一条の表現の自由の規定により、被疑者の姓名を報道することはできるというが、ただし客観的に報じるべきだ。 政府の言うことをそのまま信じてはならない。ジャーナリストなのだから自分の責任で事実を確認(check the facts)しなければならない。こういう記事を書くまでに少し宿題をすませるべきだ。

この記事には、ジュエル氏は「孤独な爆弾犯」(lone bomber)の人物像(プロファイル)に合致するとある。ところが元FBIのプロファイル専門家は著書で「孤独な爆弾犯」(lone bomber)というプロファイルはどこにも存在しないと書いている。存在しないのに、存在すると書いたのだから誤っている。またジュエル氏が目立ちたがり屋だとか 社会に不満を持つ(frustrated)男だとか・・・。また警官だから爆弾処理の訓練はしているが、つくったことはない。これらはすべて事実に反する。

記事には二つの大きな誤りがある。性格プロファイルの一部として、ジュエル氏が「メディアに出たがり屋だった」とか「英雄になりたい」ために、爆弾を仕掛けたという記述だ。つまり動機があるという書き方になっている。ジュエル氏はそういう動機は持っていない。次に爆弾を置いたこともない。これはでっちあげのシナリオであり、犯罪だ。だから訴訟を起こしたのだ。

見出しにあることに同意できない。見出しと本文のすべてが誤っている。英雄が実は爆弾犯だったという「面白い話」(good story)に都合のいい情報だけを報じた。その線に合わない情報は排除した。

FBIは人を殺すことができる。捜査当局にでっちあげさせないことが重要だった。まず第一に、刑事手続きをすすめさせないことだった。マスメディアは人を泣かす(cry)し、悩ませる(annoying)。報道陣は六〇歳の母親を追い詰めた。ずっと真面目に生きて来た女性を何百人の報道陣が取り囲み、「あなたの息子は殺人をやったのか」などと聞いて脅した。彼女を傷つけた。この事件が起きる前の彼女と変わってしまった。立ち直るのに何年もかかるだろう。

ジュエル氏は逮捕されていない。告発もされていない。被疑者、被告人になっていない。報道は客観的でなく、公正でも公平でもない。正確でなく、真実とかけ離れた記事ばかりだ。

FBIこそwanna−beだった。早く犯人を見つけて英雄になりたがっていた。アルコール・タバコ局(ATF)と競争していた。》

 

我々は翌日の三月二八日にもジュエル氏と会ったが、この日、アトランタ・ジャーナル紙が裁判所に対して、ジュエル氏の請求を却下するよう求めた書面を提出した。

「ブライアント氏に毎日感謝している。私のことを大多数の人が疑っているときに支えてくれた。私と違う考えを持つときもあるが、ほとんどの場合、彼の言うことが正しい。友人だからこそ、本当のことを言う。この国にはそういう人は非常に少なくなった」とジュエル氏はしみじみ語った。

 

原則にしがみつく米国の報道界

ジュエル氏に最悪のメディアと非難されているアトランタ・ジャーナルは、報道は正確で適切だったと反論している。ロジャー・キンツェル社長は二月二八日に発表した社告でこう高らかに宣言した。

「我々は和解を求めない。我々の報道は公正で正確かつ責任あるものだった(fair,accurate and responsible)。アトランタと世界の人々はFBIの捜査について知る権利があり、知る必要があった。この必要はとくに、爆破事件とジュエル氏に焦点をあてているという我々の報道の間で緊急性があった。爆破予告が相次ぎ、五輪がスムーズに進行するかどうかが危ぶまれていた。我々はFBIがジュエル氏を特定する前に捜査の状況を一般市民に伝え、また彼の容疑を晴らすために貢献した事実を報じた。和解の道を探ることは、読者を混乱させ、我々の信用と評価を失うことになる。正しいことをしたときには、そう主張するしかない。ジュエル氏に対して起こったことについて同情に値するし、我々も同情している。しかし同情が大きいからといって、政府がやっていることを正確に報道したことについて、態度を変えるわけにはいかない。我々とFBIを批判するためにジュエル氏と弁護士が根拠としている権利を、同じ権利を我々も修正憲法第一条で保障され、奨励されているて。

報道の自由は時に苦痛をもたらすことがある。しかし、我々すべての人々を最終的に守るものは自由で活発なプレスである。我々の信用性に挑戦する人々に同じように訴える。我々も無実だ」。

三月二六日、同紙のハイド・ポスト副編集長は次のように説明した。

《我々の新聞はこの町の新聞で、ここで開かれた五輪で爆弾事件があった。一般市民の関心があった。市民はどんな小さなことでも、警察のやっていることを知りたがった。我々が奉仕すべき人々だ。我々は被疑者の可能性のあることを そういう姿勢をずっと続けてきた。

ジュエル氏は無実である。原則としては逮捕、告発まで姓名を書かない。このケースでは捜査当局が彼に関心を持ち、被疑者と見ていると考えた。捜査当局の動きを基に正確に報道すれば名誉毀損にならないという特権がある。合理的な方法で行うべきで、情報を操作してはならない。  

記者会見でジュエル氏が被疑者であるとは一度も言わなかった。しかし捜査官の姓名は言えないが、捜査官が疑っていた。ジュエル氏の家宅捜索をすることも事前にキャッチしていた。ジュエル氏の弁護士がFBIが不当にも事情聴取したとか、家宅捜索は違法だと抗議したので、それを伝えた。

我々が最初に報道しなくても、他のメディアが報じたと思う。他の社に先に書かせるという方法もあるだろうが、それでは読者に責任を果たすことにならない。

この国にはプライバシー法はないが、プライバシーの権利意識は強くなっている。一般市民の知りたいという権利と、知られたくないという権利が衝突する。世界の三分の二の人口が知った爆弾事件で、信頼性の高い情報があればそれを伝えるのは当然で、もし報道していなければさまざまな噂が広まったと思う。こういう事件では起訴まで待つというのは難しい。五輪の選手はどうなるか、競技は予定通り進むのかとかについて、できるだけ早く報道しなければならない。そういう責任を我々は果たしたと考えている。ジュエル氏には分かってもらえない。

ジュエル氏の弁護人は、我々がジュエル氏について過剰に報道し、周辺の人々から聞いた情報を歪めて報じたと批判している。しかし、報道は正確でフェアで、悪意も持っていない。一般市民の関心にこたえた。我々は予断をもって判断(prejudge)していない。読者に情報を提供した。だから和解の道を探らない。裁判になると思う。数年かかるだろう。

NBCとCNNはジュエル氏についてひどいコメントをしたので損害賠償に応じたのだと思う。

ジュエル氏に起きたことについては、心から同情する。家族に対しても同じだ。誰だってこういう大事件で一般市民の注目を集めることは望まない。しかし警察が密室(behind thedoors)で仕事をするようになると、警察の腐敗を招く。警察は権力を濫用する恐れがある。恣意的捜査が増えるかもしれない。ジュエル氏のようなケースはたまに起きるだろうが、捜査、司法当局がプレスに監視されていると認識させることの方が大切だ。捜査当局の人たちは予測報道(second guess)を嫌がる。捜査当局の動きを取材・報道することは 安全弁(safe guard)になる。

どんな文明国でも同じだろうが、個人の人権を守りながら、大多数の市民の権利を擁護しなければならない。永久に論議が続くだろう。》

 

「世界のニュース・リーダー」に聞く

また、ジュエル氏を被疑者として世界に報じたのがアトランタに本社のあるCNNだった。ジュエル氏が勤務していた大学の学長がCNNに対して、ジュエル氏についてひどいことをたくさん言ったのをそのまま報じた。「クロス・ファイヤー」でゲストがジュエル氏についてひどいことを言った。番組ですぐに謝罪したこともある。八月二六日にラリー・キング・アワーで母親を招き、九七年一月八日にジュエル氏とブライアント弁護士をゲストに呼んだ。

CNN本社広報室のスティーブ・ヘイワース副部長は次のように語った。

《我々もアトランタ・ジャーナルと同じような情報を入手していた。おそらくFBIかATFの幹部だと思う。同紙が号外を出したので、ニュースの中でその記事を読み上げた。FBIがジュエル氏を主な被疑者(lead suspect)と考えた。

米国メディアだけでなく世界的にも非常に稀な出来事。五輪の取材に二万人のジャーナリストがいて、二〇〇万人の観光客、それに三〇〇万人のアトランタ市民がいた。すべての市民が、五輪開催中のアトランタが安全かどうかに強い関心があった。「殺人者の野放し状態」(Killer on loose)のような状態は、五輪開催中はあってはならない。市民を落ち着かせなければならなかった。

爆弾事件が起きてから、メディアは捜査関係者の動きを綿密に追っていたので、FBIがメディアに知られずに捜査することは不可能だ。車二台で捜索に行こうものなら、誰かが気付くだろう。CNNにも「reliable source」というメディア検証番組があるが、報道の自由のために犠牲を支払わなければならないときがある。秘密裏に捜査をすすめることによる大混乱が心配されたため、FBIはジュエル氏を特定したと思われる。FBIの絞り込が国際的な舞台で行われたため、今回のような事態になった。今回は無実の市民が犠牲を強いられた。我々はみな彼のことを非常に気の毒に思う。遺憾だが、報道の自由を守るために必要だった。ジュエル氏個人が傷ついたほうがよりましだったということだ。

名誉毀損とか根拠のない報道はなかった。損害賠償は行き過ぎた過剰な報道、報道の量、頻度、性格の特徴づけなどが、ジュエル氏の心を傷つけたと認識した。報道が誤っていたとか、不適切、無責任だったとは認めていない。彼の苦しみを人間として理解し、賠償金を支払った。

ジュエル氏が疑われていると報道しなかったら、ジュエル氏の友人が疑われていたかもしれない。この問題の専門家ではないが、もしFBIがメディアにはっきり言わなかったら噂が広まっただろう。二〇人以上の市民が不当に疑われたかもしれない。隣人が誤って暴漢に撃たれたかもしれない。

捜査のことは分からない。結果的には間違っていた。圧力が強かった。当局に行き過ぎ(overeager)な面があったかもしれない。

情報の高速化、一瞬のうちに情報が広まる世界に生きていることを示した。

この経験から学ぶべきことは、FBIが捜査していることを伝えるときに、刑事手続きがどこまですすんでいるかを視聴者に知らせることだ。捜査当局がある人を被疑者と特定している場合、正当な当局(legitimate authority)がジュエル氏を被疑者と見ているのにそれを報じないということはありえない。被疑者が誰かを報道しないということはない。

有罪であるとか、犯人に違いないというような印象を与えないような細かな配慮が必要だ。冤罪のケースがあるということを知ってもらうことが大事だ。ジュエル氏にコメントしてもらうことも考えられる。彼がそれをやってくれるかどうか知らないが。

英国やカナダではジュエル氏の実名報道はできないだろう。被疑者、被告人の権利を守ることになるが、報道に制限を与えると一般市民の安全が保障されない。

我々の報道は一般市民の権益のために行っている。自由で開放されたプレスを守るためには犠牲が必要だ。ジュエル氏のことは気の毒に思うが、彼が犠牲になった。私が彼の立場なら違うことを言うかもしれないが。報道の自由による恩恵は、時に個人に対して犯す報道の誤りよりずっと重い。

FBIが発表したり情報提供することはすべて伝えるのが基本だ。我々が何を伝えるかを決めるわけで、政府が決めては困る。

CNNとして報道倫理の向上のために社内の研修会を開いている。報道機関の競争が激化しており、地球全体での競争になっている。報道倫理、セックス、暴力的な血なまぐささ、グラフィックスを使った誇張がないように注意することが必要だ。ジュエル氏のケースも反省して研修している。》 

アトランタ・ジャーナルのリチャード・マシューズ論説委員は個人的意見の表明として取材に応じた。

アトランタ・コンスティテューションは朝刊紙で、一八六八年に創立された。三二万部。アトランタ・ジャーナルは夕刊紙で八三年に生まれた。一一万部。現在は両紙は同じ会社に属している。編集局は共有で記者は二四〇人。論説部門は別になっている。アトランタ・ジャーナルは保守的で、アトランタ・ コンスティテューション はリベラル。土、日曜日はアトランタ・ジャーナル・アンド・コンスティテューション として朝刊だけ。日曜日は七〇万部。

七〇年からアトランタ・ジャーナルの記者、編集者を務めてきた

《アトランタジャーナルだけではないが、被疑者の実名報道はとくに米国では問題になるのは極めて稀であり、この原則にとくに変更はないと思う。ある女性が、ダラスカウボーイのフットボールの選手二人にレープされたと訴え、大きく報じられた。実際は彼女の作り話で問題になったが。

警察が法的措置をとればそれを被疑者の姓名も含めて報じるのは普通に行われてきたことだ。

O・J・シンプソン氏の報道はひどかった。ジョンベネさんも同じだ。信じられない。ジャーナリズムとは言えない。まるでサーカスだ。ダラス・モーニング・ニューズが秘密文書を書いたこともある。弁護士事務所から取った。オクラホマ爆破事件のマクベイ被告が弁護人に供述した内容が報じられた。新聞がこういう文書を報道すべきかどうか疑問だ。公正な裁判を受ける権利の侵害になる。入手方法が適切でない。情報を手に入れれば何でも報道すればよいということではない。

米国のジャーナリズムは全体的に浅薄にセンセーショナリズム、安っぽくなっている(cheap)と思う。読者、視聴者がそういうものを求めている。報道倫理の違反が絶えない。読者、視聴者がそういうセンセーショナリズムを求めて、安っぽくしている。》

ある新聞記者は「テレビの人間は報道の自由の重要性を認識していないから和解金を支払った」と非難。

ニューヨークでも元ニューヨークタイムズ記者や放送記者に聞いたが、「逮捕されたら実名報道」という基準に疑問を持つ記者はほとんどいなかった。メディア研究者も北欧の匿名報道主義について誤解している人が多かった。

一人の人権より社会全体の利益を優先させるべきだという考え方は極めて危険である。報道の自由と人権を対立的にとらえる見方も間違っている。ジャーナリズムは市民の人権を守るために報道の自由を実践するという原点が忘れられている。

このままでは第二のジュエル氏が出ることは避けられないであろう。日本で第二の河野さんが毎日のように生まれているのように。多くの記者が、「自分が記者ではなくジュエル氏と同じような一般市民だったら違う考えを持つだろう」と言ったのが救いだった。記者は同時に市民であるという当たり前の事実を再認識してほしい。

 

市民の反応

 アトランタの市民に聞いてみた。ほとんどの人たちがジュエル氏に同情的だった。しかし「金をとるのが目的だ」「名誉のためなら金を要求するべきではない」という会社員。アトランタのあるレストランの支配人は「疑われるところがあった」と人格批判までした。当時の報道を真に受けているのだ。

アトランタからニューヨークへ向かう飛行機で隣に座った元大学職員、メアリー・ホールデンさんは「メディアは警察の言うことを信用すべきではない。被疑者だと実名報道されたらおしまいだ。被疑者と見なされているのは事実だというのは、こじつけだ。証拠がないことを知っていたはずだ。報道の自由の悪用だ。証拠もないのに全米の人々にジュエル氏を疑わしい人という印象を与えた。メディア自身が事実を確認すべきだ。逮捕や起訴の段階で実名報道は不要だ。有罪とはっきりするまでは報道すべきではない」と述べた。

冒頭で紹介したCBSのイブニング・ニュースは、米国では九〇年にもロバート・ウエイン・オファレル氏が三件の郵便爆弾の犯人扱いをされて、メディアに大きく報道されて仕事を失い、精神的にも傷ついたことを紹介。オファレル氏が「またもう一人、メディアによって殺人者と有罪宣告を受けた。しかし、いつまでそのことを覚えているだろうか」とコメントした。番組は「ジュエル氏に対して起きたことは犯罪だ。彼の人権は踏みにじられた。ジュエル氏に起きたことは誰にでも起きることだ」。

 

第2部 メディア研究者の見解

ニューヨークのメディア関係者にインタビュー

アトランタからニューヨークに飛んだ。九七三月三一日、メディア関係者に連続インタビューした。まずフランス料理店に三人のジャーナリストに集まってもらった。

ベテラン記者のジョン・ヴァン・ドーン氏。ニューズデーで一四年、ニューヨーク・タイムズで一〇年間、記者を務めた。その後、ニューヨーク・ポスト編集長、ニューヨーク・マガジン編集長を務め、ワールド・ビジネス・マガジンコロンビア大学で講師を務めた。《この国では、報道の自由を擁護することが何よりも重視される。ジュエル氏の顕名報道は米国の普通のやり方だろう。FBIが唯一の被疑者として彼の姓名を挙げているのに、もしまだ犯人とは限らないから報道しないと決めたとして、その人が後に犯人とわかった場合には、そのメディアはニューズデーに一四年間違った判断をした(made a mistake)と考えるだろう。

ジュエル氏のケースではFBIが気を付けるべきだった。FBIはジュエル氏が被疑者(lead suspect)だとメディアに言うべきでなかった。アトランタ・ジャーナルは知っていることだけを書いた。

アトランタ・ジャーナルの記者、編集者はジュエル氏が犯人だと確信を持ったのだろうと思う。

FBIが被疑者と見ていたと報道したわけで、爆弾犯と報じてはいない。FBIがそういう見方をしていたというのを伝えるのは当然だろう。》

ドーン氏はマードック氏の悪影響を指摘した。マードック系のニューヨーク・ポストの編集局長だった。《とにかくタフな男だ。一緒に食事をしても博識だし、世界中で起きていることに好奇心をもっている。問題はその境界を超えて、働いてしまうことだ。困ったことに編集者を飲み込んでしまって(eat the editor)、編集者が消えてしまうことだ。

同じポストに全く別人を配置する。私の場合も、マードック氏は私の新聞のつくりかたが、自分の好みに合わないと思って、私の了解もなく、別の編集局長が来ていた。しばらく二人が編集局長

マードックがこの国のメディアの顔を変えたことは間違いない。ガネット系の低落、衰退、「U.S.Aツデー」の拡大。「U.S.Aツデー」は短い記事を二〇単語で書けと言っている。悪い影響を与えている。マードックは新聞社の独立性、自治を認めない。UPIは最近、どんなニュースでも三五〇語以内で書くと決めた。》

ドーン氏は、《捜査段階で報道を抑制するのは欧州のやり方だ(European form)》と主張。《誰がそれを決めるのだ》と何度も聞いた。

元?記者の・氏は《少女の美女コンテストの報道の過熱ぶりはひどい。ジュエル氏のケースのように、ときどき報道の自由の悪用(abuse)があるが、全体としては.権力を監視している》と述べた。

元ABCのプロデューサーで現在フリーのシルビア・ヒューストン氏はこう語った。《個人の人権擁護と報道の自由との調和をどうするかだが、米国のメディアは公的なチャンネルについてすべてをオープンにする義務があると考えている。独自の調査報道、例えばニクソン大統領に関する取材報道などの経験から、公的な情報を市民に伝えるという考え方だ。》

 

報道評議会の創立者に聞く

ニューヨークで全米報道評議会(一九七三年ー九二年)の創立者であるネッド・シュヌルマン氏に彼の事務所で会った。シュヌルマン氏は現在は、パブリック・ブロードキャスティングのプレスアワーで、 「インサイド・ストーリー」のプロデュースを担当している。

《私はジュエル氏がアトランタ・ジャーナルを訴える裁判に、専門家として参加するように弁護士から求められたが、断った。私は彼が「メディアからできるだけ多額の賠償金をとるのが目的」と言ったのを読んだので協力できなかった。彼が自分を守るための法律は、修正憲法第一条以外にたくさんあるので私は遠慮した。

米国のメディアはますます巨大な資本に支配されている。金のことだけを考える経営中心主義、センセーショナリズムがメディアを悪くしている。政治の腐敗、様々な選挙での金の流れ方などは報道されない。

全米報道評議会はニューヨーク・タイムズが賛成してくれれば、半分成功したのと同じだ。ワシントン・ポストは追随する。他のメディアも同じだ。フォード財団が支援してくれていた。日本人がいる。》

シュヌルマン氏は、スウェーデンのメディア責任制度についてとんでもない誤解をしていた。《スウェーデンではプレスオンブズマンや報道評議会は罰金をとっている。罰金を科されたということを報道するように強制される。記者がコードに違反すると逮捕される。そういうやり方はこの国では導入できない》。スウェーデンのやり方が嫌いのようだった。

《英国や北欧では捜査段階、裁判段階で何も報道できない。

匿名報道主義には賛成できないが、犯罪報道の行き過ぎ、などについてそれを防止して、問題が起きれば、審理して判断を下し、新聞社に勧告するような報道評議会が必要だ。モデルは英国などにある。》 

 

デニス教授に聞く

ニューヨークには米国の報道の自由を守るための市民組織、「フリーダム・フォーラム」がある。エベレット・E・デニス(元ミネソタ大学大学院ジャーナリズム学科長、オレゴン大学ジャーナリズム学部長)。ジャーナリストのクラブ「」でインタビューした。

《ジュエル氏のケースは、非常に異常なケースだと思う。犯罪の被疑者として、有罪の心証を与える報道があちこちでなされた。プレスによって追い掛けられ、報道は彼の評判を悪くした。

法律的な問題というより、倫理的な問題だと思う。名誉毀損となるかどうかは別にして、ジュエル氏は市民の同情を集めた。メディアによるネガティブな報道(so much negative  natinal publicity)は、メディアの振る舞いについてネガティブな印象を与えた。メディアがどこまで責任を問われるべきかは議論があるだろうが、

FBIは一度も犯人とは言っていないと主張するだろう。告発もしていないし、

我々は米国の犯罪報道の歴史、そのあり方についての本を出版した。記者、判事、連邦刑務所の受刑者、被害者の遺族らにインタビューして調査した論文を集めている。

犯罪報道のあり方が後退してきた(kind of setback)と思う。

二〇年前に比べてもそうだ。八〇年には三五の州に「公正な裁判と報道の自由のための倫理綱領」(fair trial free press code)があった。これは法律ではなく報道機関と法曹界が協議して自主的に制定した綱領だ。ケネディ大統領暗殺事件のオズワルド被告が暗殺されたことがきっかけになって、リアーデン委員会がこのような綱領をつくるよう答申を出した。六〇年代から七〇年代に各州に広がった。この綱領を順守しているかどうかを見守る評議会が、各州の新聞協会(state press association)、弁護士会、裁判所関係者で構成された。綱領には無罪推定の尊重や、捜査段階の「自供」を書いてはならないという規定があった。記者はこの規定を書いたカードを持ち歩いていた。

「プレスによる裁判」「テレビによる裁判」が批判されていたので、綱領は重要だった。八〇年にワシントンでこの綱領が、ある記者を起訴するときに検察官によって利用された。これではたまらないということで、その後すべての州で廃止され、今は存在しない。二〇年間うまく機能していた。

米国でも全米報道評議会があったが失敗した。マイク・ウオレス氏が「6〇ミニッツ」で紹介したミネソタ報道評議会のほか、ホノルル、コロラドなどにもあった。

全米報道評議会がうまくいかなかったのには多くの理由がある。主要なメディアが協力的でなかった。メディア関係者の多くが、報道の自由の侵害になるとか、報道を萎縮させる、資金がかかりすぎる。ニューヨーク・タイムズが協力しなかったから失敗したとよく言われるがそういうことではない。資金集めがうまくいかなかった。方法論的な問題(philosophical reason)というより、運営上の問題(management problem)が問題だったと思う。

北欧の匿名報道主義についてデニス氏は次のように述べた。「人種や宗教について偏見を拡大するような報道はしない。少年は匿名にするようにしている。民事でも刑事でも、昔は被告人や原告の当事者の姓名をあまり報じていなかった。非公開の法廷はよくない。最近は姓名を出したほうが、アカウンタビリティがあるという傾向がある。姓名がないと市民が本当のことが分からないという見方だ。

デモイン・レジスターのジュニーバ・オーバーヘルサー氏は、レイプの被害者の不名誉を取り除くためにも被害者と話し合って同意を得れば顕名にすると決めた。彼女は現在、ワシントン・ポストのプレスオンブズマンになっている。

カナダのトロントでハマルカ事件という男女が誘拐事件に遭った事件があった。カナダでは捜査段階では報道できない。米国との国境で米国から情報がたくさん流れてしまった。  

マサチューセッツ州で強盗レイプ事件があったが、CNNは裁判をすべて中継した。地方の事件で全国的なニュースではないのに、次第に関心が高まった。

オズワルド氏の場合も、あれだけ報道された後に公正な裁判ができるのかということで、陪審のメンバーから報道をやめろという声が上がった。

ウイスコンシン大学のDrescher教授が裁判と報道の関係を書いた。ミネソタ大学のギルモア教授も報道の自由と被疑者・被告人の権利について研究している。

O・J・シンプソン事件についてはJeffrey Tubenの "Run of His Life"がいい。

鹿野(ケイソーカノー、社会問題)財団の鈴木氏(ジャパン・タイムズ)が先頃米国に来て、ビジネス・スクールを日本に導入したようにジャーナリズム・スクールを将来、日本につくりたいということで調査に来た。

米国の大学のジャーナリズム・スクールは新聞業界に記者を供給していると認識されている。

エリート新聞社はジャーナリズム教育を受けているかどうかを気にしない。しかし、他の新聞社で既に記者をしている人を中途採用する。この人たちはほとんどがジャーナリズム・スクールを出ている。

八五%がジャーナリズム・スクールの出身。前よりも下がっている。テレビ、ラジオではもっと低い。ただし放送局には新聞記者から移った人も多い。世界の大学でメディア研究者の協会(International Consortium of Media Studies)がある。》

ジョン・ヴァンデン・ホイベル氏(現在は銀行員)は「ジョン・ベネイちゃんのケースを見よう。こういうセンセーショナルなケースの割りには報道が抑制的だ。家族の微妙な関係などに配慮しているのではないか。三カ月たっても抑制している」。

 

亡命中のアフリカの記者に聞く

フリーダム・フォーラムが設立したメディア研究所(Media Studies Center)の研究員、ケネス・Y・ベスト氏にも会った。マディソン・アベニューにあるこの研究所はもともとコロンビア大学ジャーナリズム学部にあったが、数年前に独立した。メディア研究の中心になっている。

ベスト氏は六六、六七年に米国の大学の大学院で学んだ。西アフリカのリベリアの新聞社「デーリー・オブザーバー」の編集長で、ガンビアから国外追放となっている。リベリアでも身の危険がある。九四年に米国に来て研究所の研究員になっている。

米国のジャーナリズムの問題点は、第一に、社会の改革には積極的に取り組まない姿勢だと言う。《私は外国人なので米国のメディアの当事者ではないが、外国人から見た印象を話したい。例えば教育問題で都市の中心部の学校が劣っているという問題がある。都心の学校が悪いというだけでは不十分だ。背景にある貧富の差、人種差別主義の問題も絡んでいる。政治経済社会的な諸問題があっても、社会の中にある不平等、後進性を取り上げて解決するよう努力するのがあジャーナリズムの役割だ。しかし米国のジャーナリストは社会を改革するためには働かない。事実を報道することに徹するという。彼らが言うところの(advocacy journalism)を重視しない。adovocate for causesウオーター・クロンカイト氏らのベテランの記者は違うが、若い世代の記者は報道するだけでいいと言う。》

第二の問題は、判断を急ぎ過ぎるということ(rush to judgement)だと言う。《例えば被疑者が逮捕されたら、その被疑者が実際にやったというふうに報道するので問題を起こす。ガンビア、リベリアなどの西海岸の国々では  法廷記録は利用できるが、どう書くかは非常に慎重にする。 警察が被疑者だと言っても、そうは書かない。警察の捜査に協力している(He is helping the police with the investigation)という表現を使う。これだと中立的な表現だ。起訴され裁判になれば公的な記録になるから報道できる。しかし裁判中は一切コメントできない。米国では判決前にみんなが好きなことを言っている。O・J・シンプソン事件での裁判報道にはびっくりした。

ジュエル氏のケースでも、私がNBCまたはアトランタ・ジャーナルの編集者であれば、絶対に彼の姓名は使わない。米国では顔写真も報じた。私なら「FBIの捜査に、ある人が協力している。まだ姓名を報道できない」と伝える。あの段階ではリスクが大きすぎる。  

ビル・コズビーの息子が殺されたときも、テレビカメラが家族のところに押しかけた。家族の心情を考えなければならない。取材報道に節度が必要だ。

人種について報道しすぎている。「被疑者が黒人の時はblack maleと書くが、白人だと何も書かない。(同席していたゲバート氏は、米国のメディアは「白人のユダヤ教の男性(white Jewish male)とは絶対に報道しない。顔写真も黒人の時は使いたがるが、白人だと出ないことが多い。こうした人種に関する(stereo type)は社会の分断を招くと思う。フィラデルフィア・インクアイラーの記者で、今この研究所に来ている人から聞いたが、フロリダで最近開かれたメディアの経営・発行者の全国大会で、千人の出席者がいたが、そこには一人の黒人もいなかったという。どこに多様性があるのかと思った。

編集室の記者の中に占めるマイノリティが少ない。二〇年前に比べると増えてはいるが、まだまだ不十分(not nearly enough)だ。ニューヨークタイムズのようにリベラルなメディアでも、黒人の記者が、黒人には出世の階段が閉ざされていると嘆いている。

米国メディアは世界の他の地域に起きていることに無関心。「トヨタがGMを抜いたとか、大惨事があると報道するが、そういうこと以外のニュースは少ない。最大の米国の貿易パートナーなのにだ。アフリカや東南アジアで何が起きても関心がない。アフリカなどのことを取り上げると視聴率が下がるという。何千人が死ぬような事故があると報じるが、それ以外の社会経済状況に全く関心がない。》

ベスト氏はガンビアの新聞「デーリー・オブザーバー」から四年近く離れているが、残った人たちが今も新聞を発行し続けている。立派なカレンダーを印刷している。困難な状況下で仕事を続行している。

ウオールストリート・ジャーナル副社長が、委員長を務めている世界報道自由委員会(World Press Freedom Committee)に対して、「ナアイジェリアの女性記者が最近投獄された。夫は前に追放されている」と連絡した。アバチャ大統領に抗議文を出すように求め、委員長はそれを送った。アフリカでは記者が殺され追放されている。

 

実名主義の危険性知らない記者たち

米国の大メディアのジャーナリストには刑事事件を何を報道し、報道しないかは、事件の内容と被疑者・被告人の社会的重要性(その姓名の報道の是非も含めて)で判断すべきだという考え方が理解できないようだった。

米国の記者たちは、ゴリゴリ取材報道して裁判に負ければお金を払う  日本はゴリゴリやって、お金も払わない」ということだろう。

米国のマスメディアにもタブーがある。ゲバート氏は「パレスティナ問題では不公平。パレスティナ市民がイスラエル軍の兵士に殺されても、単にパレスチナの若者何人が死亡した、としか書かない。イスラエル軍の兵士に射殺されたと報じない。また広島、長崎の原爆投下が非人間的だということも書けない。」

アトランタで会った新聞記者は、「テレビの人間は報道の自由の重要性を認識していないから和解金を支払った」と非難していた。

ニューヨークでも元ニューヨークタイムズ記者や放送記者に聞いたが、「逮捕されたら実名報道」という基準に疑問を持つ記者はほとんどいなかった。メディア研究者も北欧の匿名報道主義について誤解している人が多かった。

一人の人権より社会全体の利益を優先させるべきだという考え方は極めて危険である。報道の自由と人権を対立的にとらえる見方も間違っている。ジャーナリズムは市民の人権を守るために報道の自由を実践するという原点が忘れられている。

このままでは第二のジュエル氏が出ることは避けられないであろう。日本で第二の河野さんが毎日のように生まれているのように。多くの記者が、「自分が記者ではなくジュエル氏と同じような一般市民だったら違う考えを持つだろう」と言ったのが救いだった。記者は同時に市民であるという当たり前の事実を再認識してほしい。

 

市民の反応

アトランタの市民に聞いてみた。ほとんどの人たちがジュエル氏に同情的だった。しかし「金をとるのが目的だ」「名誉のためなら金を要求するべきではない」という会社員。アトランタのあるレストランの支配人は「疑われるところがあった」と人格批判までした。当時の報道を真に受けているのだ。

アトランタからニューヨークへ向かう飛行機で隣に座った元大学職員、メアリー・ホールデンさんは「メディアは警察の言うことを信用すべきではない。被疑者だと実名報道されたらおしまいだ。被疑者と見なされているのは事実だというのは、こじつけだ。証拠がないことを知っていたはずだ。報道の自由の悪用だ。証拠もないのに全米の人々にジュエル氏を疑わしい人という印象を与えた。メディア自身が事実を確認すべきだ。逮捕や起訴の段階で実名報道は不要だ。有罪とはっきりするまでは報道すべきではない」と述べた。

冒頭で紹介したCBSのイブニング・ニュースは、米国では九〇年にもロバート・ウエイン・オファレル氏が三件の郵便爆弾の犯人扱いをされて、メディアに大きく報道されて仕事を失い、精神的にも傷ついたことを紹介。オファレル氏が「またもう一人、メディアによって殺人者と有罪宣告を受けた。しかし、いつまでそのこおとを覚えているだろうか」とコメントした。番組は「ジュエル氏に対して起きたことは犯罪だ。彼の人権は踏みにじられた。ジュエル氏に起きたことは誰にでも起きることだ」。

米国の若い記者の中には「河野さんのケースと比較してみたい」というジャーナリストもいる。

 

朝日新聞の我田引水

《事実、ニューヨークタイムズやAJCの実名報道で、FBIが被疑者の権利を告げずに供述書に署名させようとしたり、取り調べに弁護士を立ち会わせようとしなかったりしたことも分かった。》

これは九六年一〇月三〇日の朝日新聞夕刊一面トップの載った杉本宏記者の署名記事の一文である。実名報道したからFBI捜査の監視ができたというのは、こじつけだ。朝日新聞は何とかして実名報道を守りたいのだろうが、ジュエル氏の姓名を報道せずに、FBIの側を顕名報道すればいいのではないか。

世界中の関心を集めた五輪の舞台で起きた血なまぐさい爆破事件。CNN本社ビルの前で、各国の報道センターがある公園で起きた。五輪の期間に日本のテレビ局の仕事をしていた日本人女性は「五輪百念記念公園だけがなぜ何のセキュリティチェックもなく野放し状態なのかと不思議に思って、友人に大丈夫かな」と話していたという。

今回の取材に協力してくれたアトランタの友人はこう語った。《一人の人間を被疑者にしていくことで国際舞台に安全が戻ってきたような錯覚を数百万人に与えた。裏を返せば、大変恐ろしいkill on loose状態をFBIとメディアはつくりあげていたのかと思うとぞっとする。米国という国は、その場、その場の目につくところをきれいにすることが得意な国である。そんなパッチワーク的な目先のことだけで、この「爆弾犯人」を「その場だけの」ためにつくりあげてほしくなかった。今でも加害者は自由に歩き回っていると思うと不安であり、あの時、メディアが費やしたエネルギーは何だったのだろうと思う。Everything happens because of reason.という言葉があるが、ジュエル氏にとって、今回の事件は何だったのだろうか。》

私の友人である元UPI大阪支局記者のブライアン・コバート氏は「あの段階でジュエル氏を顕名で報道する必要はなかった。米国のメディアには正式に告発(charge)がなされるまでは顕名報道しないというのは普通だった。捜査当局が被疑者と見ているというだけでは、顕名にする根拠としては不十分であり、十分な証拠がるということが前提とされるという不文律があった。それが最近無視されている。昔なら起きなかった報道被害だと思う」と語っている。

私がずっと言ってきたように、人権と犯罪報道の問題は国境を越えた国際的、普遍的なものだということがはっきりした。第二の河野さんが海のむこうで出たというのは象徴的である。米国の中からも犯罪報道の犯罪を取り上げるメディア研究者が増えてほしいものだ。

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Copyright (c) 1997, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1997.06.15